仮面をかぶること

自分自身を見つめるということは日常の一部。その日常を、毎日繰り返すのが現代。現実と架空の世界の境界を曖昧にする、ジリアン・ウェアリングのショー『Behind the Mask, Another Mask』は、シュルレアリスムで匿名性とアイデンティティの概念を解釈した作品だ。

3月9日、ロンドンのギャラリーNational Portrait Galleryで、ジリアン・ウェアリングが、フランスの芸術家クロード・カアン(Claude Cahun)の作品に呼応する大規模なエキシビション『Behind the Mask, Another Mask』を開催した。ウェアリングは、1980年代後期に無名の若手アーティストたちが集ってグループ展を開き、一大芸術ムーブメントとなったYBA(Young British Artists:ヤング・ブリティッシュ・アーティスト)の一員として、その名を知られるようになった、イギリス出身のコンセプチュアル・アーティスト。彼女は、映像や写真の手法を用いて、ひとの私的世界と公的世界、そしてひとの匿名性と固有性を探ってきた。今回、ウェアリングがモチーフとしているクロード・カアンは、1980年代まで世界にほとんど知られることがなかった、シュルレアリスム女性アーティスト。彼女は、写真で、アイデンティティとジェンダーの概念がいかに曖昧なものであるかを浮き彫りにした。これに感銘を受けたウェアリング——自身の日常の内に見出した仮装とロールプレイの要素を、ウェアリングは、セルフ・ポートレイトとパフォーマンスの作品に描く。

まずはNational Portrait Galleryでのエキシビションについて伺います。クロード・カアンの作品にあなたが呼応する形式となっていますね。2012年作品『Me as Cahun Holding a Mask of My Face』では、カアンの1927年作品『I Am in Training Don’t Kiss Me』を再構築していましたが、あなたが個人的に、そして芸術的に、カアンの作品との間に感じる関係性とはいったい何なのでしょうか? 特に、『I Am in Training Don’t Kiss Me』の再構築をあなたに思い至らせたものとはいったい何だったのでしょうか?

あの作品で、カアンは男性と女性をひとつのアイデンティティに描いています。唇は天使の弓矢のようなおちょぼ口に描き、頰にはハートが描いて、その化粧から顔こそフェミニンに見えるのに、体には重量級ボクサーのような衣装をまとい、手には大きなダンベルのようなものを持っていたりするわけです。私の作品では、そのトレーニング要素こそ排除していますが、代わりに自分の顔を模した仮面を手に持たせ、その仮面からは髪を排除し、目や睫毛には男性的な加工を施しています。20世紀初頭に生きたカアン——彼女が残した作品に呼応する作品を作ることで、対話をそこに作り出し、生前には評価を受けることがなかったこの素晴らしいアーティストにオマージュを捧げています。また、カアンが生きた時代というのは、同性愛やトランスジェンダーといった概念が社会的に禁じられていた時代でもあります。彼女の写真作品は世間に見てもらうチャンスすらなかったのです。発表された作品はたったひとつ、それも、彼女のパートナー、マルセル・ムーア(Marcel Moore)が亡くなったときに発表した一枚だけでした。同性愛やトランスジェンダーという存在を扱うこと自体が前衛的だと考えられた時代で、社会が完全なる男性支配の中にあった時代です。ジェンダーの中性性を作品に打ち出したカアンは、時代の先を行っていたのです。彼女が打ち出していた世界観がひとびとに評価されるようになったのは、彼女の死後数十年が経ってからのことでした。

あなた自身の顔を模した仮面を用いることについて話していましたが、仮面と仮装が、あなたのパフォーマンスにおいてどのようにジェンダーやセクシュアリティ、ロールプレイという要素を表現しているのかについて教えてください。仮面の製作工程について、そして仮面が持つ意味と、それが象徴するものについても教えてください。

作品に用いられている仮面は、わたしの顔で型取りをして作っています。わたしの顔を模すことで、仮面にはうわべの自分を表現しています。あの仮面を作る工程には、数ヶ月の時間を要します。まずは型取りをして、それをシリコン製の仮面にして、そこへ眉毛を埋め込み、髪の生え際を作り出して、髪を植えることもあります。あの仮面をつけることで、生まれ変わったような気分になります。とてもリアルなだけに、もうひとりの人格になってしまえるんです。私たちは、普段の生活のなかで、“自分が周囲からどう見られているか”という、とても限定的な存在として自分を認知しています。仮面をつけることで、そんな認識を取り除くことができます。また、仮面をつけることで、日々の生活のなか、より上手に立ち居振舞うことができるようになります。日常は、無意識レベルでの演技の繰り返しになりがち——私たちは誰もが日々、演じながら生きているのです。仮面をつけることで、そんな自分の限界を束の間でも打ち崩すことができるように感じます。翌週や翌月、翌年、または何年も後になって、パフォーマンスを改めて見てみると、そこに見る自分は実際の自分よりもイキイキとしていることに驚かされます。

ひとびとが、実はそれぞれの体験から来る偏見や先入観を、そうとは知らずにポジティブなものと捉えていたりするのを見ると、いつも不思議に思えてしまいます

仮面は、ほかにも変装としても用いることができ、また、アイデンティティを隠したり守ったりするためにも用いることができますね。あなたは過去にもそういった世界観を探ってきました。

はい、1994年に作った「告白」シリーズ以来、私は、人々がアイデンティティを明らかにしなくとも、それぞれにとって重大な秘密を告白できるような空間を、と作品を作り続けてきました。映像作品を作り始めたあたりで、私はひとつの事実に気づきました——私が作品で作り出しているスペースは、人々がアイデンティティを明かさなくても告白ができるだけでなく、彼らが何かしらの自信を得られる場所でもあるのだ、ということです。なかには、わたしのパフォーマンスで自らの仮面に気づき、その仮面を気に入って、それをつけたバージョンの自分として生きたいと考えるひとまで出てきました。仮面には、ひとそれぞれのストーリーが反映されます。若い頃に、見ず知らずの人を死なせてしまった経験がある観客がいましたが、彼女はわたしのパフォーマンスを見るまでずっと恐怖を胸に抱えて生きていました。そして、それを誰にも明かすことなく、それまで生きてきたわけです。誰かに話してしまえば、刑務所に送られるかもしれないわけですからね。それを吐き出すことができるということ、そして仮面をつけることで自分ではない誰かになりすますことができるという状況が、彼女に束の間の安息を与えたわけです。

あなたは『Family Portrait』のシリーズでも仮面を用いて、あなたのご家族に扮しています。家族アルバムと写真の間にある関係性はフェミニズム的芸術論にも相通ずるものがありますが、今回のエキシビションが“男性の視点”の歴史を象徴するような施設であるNational Portrait Galleryで開催されるということからも、そこにはフェミニスト・アートの軌跡とあなたご自身の間にある関係性が打ち出されているのでしょうか?

女性の肖像というのは、これまでの長い歴史のなか、常に美術館などで展示され、もてはやされてはきたのです。しかし、ゲリラ・ガールズ(Guerrilla Girls:1985年にニューヨークで結成された、急進的フェミニスト団体。フェミニズムだけでなく、世界の性差別や人種差別とも闘い続けている)が指摘するところによれば、それは男性が描いた女性のヌードばかりだったそうです。しかし社会は少しずつ変わってきています。1990年代、私が作品を公開し始めたころ、私は前の世代よりも私の世代のほうが多くのチャンスを手にしていると感じたものです。男女の平等を感じたように思えたのです。しかしながら、後になって振り返ってみると、あの当時に私が参加していたグループ展も、開催していた個展も、すべて男性主導で出来上がっていたものでした。女性がいなかったからではなく、それは文化的な偏見に端を発した、社会の偏りでした。ひとびとが、実はそれぞれの体験から来る偏見や先入観を、そうとは知らずにポジティブなものと捉えていたりするのを見ると、いつも不思議に思えてしまいます。

あなたは他のアーティストたちの作品にもたくさん登場しますが、あなた自身の作品でも多くご自身の存在を用いています。17歳の自分や70歳の自分といったように、これまで自分の肉体にさまざまな存在を表現されてきたわけですが、中でも重要な意味を持つのは、1988年から2005年まで制作を続けた「ポラロイド」シリーズではないでしょうか?

17歳のころは、身体的特徴から見る自分が、私のアイデンティティのすべてでした。パンクを経験した後、ニュー・ロマンティックになりました。友達とファッション誌の写真の真似事をしたりしているうちに、グループを結成するという流れになりました。10代の女の子が夢見るような、楽しい世界観を生きていました。そこへ、アートの学校に通うようになり、わたしの興味は洋服や見た目ではなくアートへ移行していきました。絵の具がたくさん飛び散ったデニムに身を包んで、いかにもアートの学生といったいでたちをするのが楽しかった——そのうち、ドローイングだけでは飽き足らなくなり、油絵を始め、自分自身を描くようになりました。自分というものを見つめ始めたのはその頃でした。「ポラロイド」のシリーズは、10代のころに自分自身を撮った写真の数々と、アート・シリーズの作品をミックスした世界でした——と言っても、当時はそんな風に考えてはいませんでしたけどね。10代のころに撮った写真の中の自分は自意識いっぱいですが、でも自分で見て楽しむことだけを目的に撮ったもので、そこで自分自身との対話をしていたわけです。それから歳を重ね、鏡の中にうつる自分の向こう側に目を向けることができるようになると、作品のなかの私の表情に変化が見られ始めます。

あなたの作品は、ソーシャル・メディアにおけるひとびとの自己顕示欲を表現していると解釈されがちですが、この自撮り時代に見られるポートレイトやセルフ・ポートレイトの概念の変化について、あなたはどう考えていますか?

今はデジタル時代ですから、80年代に私が撮ったセルフ・ポートレイトは現代の“自撮り”とはやはり違います。それでも、2000年代中盤に、MySpaceなどでひとびとがスマートフォンを使ってセルフ・ポートレイトを撮り、世界に向けて公表しているのを見たとき、30年前にわたしがやっていたことに似ているなと思いました。人間には、「新たな自分のアイデンティティを生み出したい」という欲求があり、それを可能にしてくれるツールさえあれば、それを実践してしまうものなのだと思います。そこにミーム(パロディ)といったトレンドが生まれ、それを見てもらって、ひとびとからの反応を得ることで、そういったアイデンティティが築かれていく。現代という時代、自分自身を見つめるということは日常の一部です。それを毎日繰り返す——記録することと生きることは、ひとつの大きなテーマにあるふたつの側面でしかありません。

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